タイタニックの豆知識を紹介

タイタニック

歴史に残る名作「タイタニック」。
感動のストーリーはもちろん、カメラワークや人物描写などとても細かく作られています。
3時間30分という長編作品にもかかわらず、途中でだれることなく見ることができるのも、視聴者を飽きさせない工夫がなされているのです。
この映画は多くの設定が隠されており、実際に調べてみないとわからないこともあります。
長編ではあるものの、実際に起こった出来事や人物描写など書ききれなかった部分も存在します。

まず1つ目は、一等客室に乗っていたモリー・ブラウンです。
ジャックとローズが通路で唾を飛ばしているところでローズの母親にパーティーに招待されますが、ジャックは貧民なので着ていく服がありません。
成り上がりのモリーはそんなジャックを見て、息子のタキシードをジャックに与えるシーンが印象的です。
このモリーという人物は実在し、実際にタイタニック号に乗船して生き残っています。
本名はマーガレット・ブラウンで、生還後は教会を建てたり、デンバーで学校を建てたりしました。
「モリー」という呼び名は死後に呼ばれるようになり、その半生を題材にした「不沈のモリー・ブラウン」といミュージカルや映画が公開されたほど、有名な人物です。
劇中では避難用のボートに乗った後、生存者を探すように訴えかけますが却下されます。
実際は「暖をとるため」と言ってボートを自ら漕ぎ、生存者を探すために戻りました。

タイタニック号の船長であるエドワード・スミス船長も実在する人物で、当時62歳という年齢でしたが経験豊富なため船長に抜擢されました。
映画では氷山の発見が遅れて寸前で舵を切った描写がありますが、実際はスミス船長が氷山があると予測して当初の航路よりも南に18キロほどずらして航海していました。
また、見張員だったフレデリック・フリートの証言では、氷山の発見が遅れたのは靄の影響があったからと言われています。
氷山があった北大西洋のニューファンドランド沖では、古くから海靄が発生しやすいポイントとして知られていました。
そのため、氷山を目視で確認した時には衝突は避けられない状況だったのです。
スミス船長は映画の中でも現実でもタイタニック号に残って亡くなっています。
劇中ではイギリス出身の名優であるバーナード・ヒルが演じていますが、当初の予定ではロバート・デ・ニーロがオファーされていました。
しかし、オファー当時はデ・ニーロが病気療養中であったため断られ、バーナード・ヒルに変更されました。

タイタニック号が氷山に衝突するとき、減速せず高速で航行していたことが分かっています。
実際に劇中でも舵を切っただけで速度を落とした描写はありません。
これには3つの理由があります。
1つ目は、減速して氷山に衝突するよりも、高速で航行して衝突したほうが安全だったからなのです。
速度委が早いと衝突時の威力も増します。
そのため、減速するよりも無理やり突破したほうがいいと現場は判断しました。
この判断を下したのはスミス船長のほか、多くの船乗りも同じ考えだったためです。
2つ目の理由は、当時イギリスの炭鉱でストライキが起こってしまい、必要最低限の石炭しか積んでいなかったことです。
航路は出発地点のイギリスから目的地のニューヨークまでノンストップでした。
途中で航路を変更すると石炭が足りなくなる恐れがあったからです。
3つ目は石炭火災です。
実際にタイタニック号がイギリスを出港する前から石炭庫で自然火災が発生しており、何人もの船乗りが出港後に消火活動を行っていましたが、沈下することはありませんでした。
その燃えた石炭をボイラーに投入したため、当初よりも若干スピードが上がってしまいます。